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春秋八覇王

2009,8



春秋という激動の時代を鮮烈に彩り駆け抜けた覇王たち。
『春秋五覇』というのが一般になじみの深い言い方かもしれませんが、
この『五覇』には諸説あり、文献によって取り上げている五人に違いがあります。

この時期衰退の一途を辿る周王室に代わりって天下の大事を執り行う、というのが
周の天下である春秋時期の覇王の条件でした。
しかし周王室はすでに実質的な力を失っており、各国はそれぞれ富国に励み、
天下に号令することを目標としてしのぎを削っていました。
「周に代わって」という言葉が大義名分にすらならなくなりつつあったのです。

今回は、天下にその影響を及ぼしたという点で活躍した八人の王を描いてみました。



斉 桓公

斉の第16代君主。諱は小白。
春秋時代の混迷の中最初に覇を唱え、春秋五覇の筆頭としていわれることが多い。
鮑叔牙の薦めに従って、政敵関係にあった管仲を登用して宰相としたことで
斉国は多いに潤い、会盟を執り行い春秋時代に覇を唱えるに至った。


晋 文公

諱は重耳。斉桓公と共に、春秋五覇の筆頭に数え上げられる。
父、献公の寵姫である驪姫の禍によって国内に内紛が起こり、それを避けて国外に逃亡た。
19年間に及ぶ諸国流浪の間、多くの辛酸を嘗め、また斉桓公宋襄公に厚く庇護された。
最後は秦穆公の助力を得て帰国し、即位を果たした。
不遇の時代が長く在位期間は短かったが、その短い在位中に諸国齎した覇業を評価される。


秦 穆公

秦の第9代君主。諱は任好。
晋文公の政敵であった公子夷吾を後見して位に即けて恵公とし、
恵公の裏切りに遭いながらも、仁によって晋国の飢饉を救った。
しかし翌年、秦国の飢饉の際、恵公が恩を忘れ秦に攻め入ってきたことで晋と全面戦争となり、
最終的には重耳を支持して位に即けた。
また、「喰馬の恩」で仁を施した野人たちに危機を救われるといった逸話が残されている。
国外の有能な人物を重用したことで、後々秦が強国となっていく足がかりを作った。


楚 荘王

楚の第6代君主。諱は侶。
即位後は暗君を演じて臣下を見極め、「(三年)泣かず飛ばず」の由来となった。
自らの妃妾に悪戯をした臣下を許し面目を施したことにより、命を救われたという逸話もある。(「絶纓の会 」)
また「鼎の軽重を問う」逸話に見られるように周王室を軽んじた点では斉桓公晋文公と異なり、
異論はあるものの、行った覇業の及ぶ広さから、春秋五覇の一人に数え上げられる。
武勲は凄まじく、陳・鄭を併呑して魯・宋を盟下に置くなど、一代にして楚を一大強国へと導いた。


宋 襄公

宋の第20代君主。諱は茲甫。
当初、腹違いの兄に位を譲ろうとしていたが、兄が辞退したため即位したという経緯を持つ。
斉桓公の死後、跡目争いで混迷に陥った斉を、孝公を立てることによって鎮めた。
これによって、斉桓公の後を継いで中原の盟主たらんと志し、鄭・曹ら六国を率いて会盟を行おうとしたが、
会盟の場で楚に捕らえられ、面目をつぶされるという辱めを受けた。
宋は殷の末裔の国であり、かつての統一王国の血をひいている、という自負が
襄公の理想主義の根底にあったといわれ、会盟の恨みを雪ぐべく起した泓水の戦いで生まれた
「宋襄の仁」という故事が、襄公の理想主義を物語っているといわれる。


呉王 闔閭

呉の第6代君主。諱は光。
楚からの亡命者である伍子胥の援けを得てクーデターを起し、王位に即いた。
孫武(孫子)と伍子胥の補佐により、呉は小国ながら強大な楚を攻め、首都を陥落させ
中原諸国に覇を唱えるほどの強国へと押し上げた。
しかし、楚の撃墜を妨げられた仇を討つべく越と対峙した際に、越王勾践の謀臣・范蠡の計略によって
傷を負い、これがもとで死去する。
臨終に際して、息子であり次期王位継承者である夫差に、越王勾践への復讐を誓わせ
その後の呉越間の激しい攻防のきっかけを作った。


呉王 夫差

呉の第7代君主であり。最後の王となる。
臨終の際の父の遺言を守り、即位後も父の怨みを忘れないよう
敢えて毎日硬い薪(たきぎ)を寝台として眠ったことから
「臥薪(嘗胆)」の故事の由来となった。
越王勾践の攻撃を受けて逆にこれを反撃し、捕えるに至ったが、
越と通じた宰相・伯嚭の献言に従いこれを許した。
中原の覇者を目指す夫差は富国に力を入れ、斉や晋に圧力を加えたが、
越と再度戦戈を交え、終に破れて自害。
盟主となる夢は終に果たされることなくここに呉は滅亡した。
越より送り込まれた絶世の美女・西施を寵愛したことでも有名。


越王 句践

越の第5代君主。
呉に敗れ、捕虜となった屈辱を忘れぬよう、苦い豚の胆を嘗めて雪辱に燃えたことから
「(臥薪)嘗胆」の故事を生んだ。
謀臣・范蠡を重用して宿敵ともいえる呉に幾度と無く攻め込み、
闔閭夫差と二代に亘って呉を苦しめ、最後は滅亡させるに至った。
呉を下した後は北方に力を及ぼし、終には会盟を取り仕切り、中原の覇者となった。
絶世の美女・西施を呉へ送り込んで夫差を骨抜きにしたという逸話でも有名。





以前から、いつかこの絵を描きたい…と思い続けていたので今回描けて満足の一枚です。

春秋五覇を誰にするかについては諸説あり、色々議論が交わされているようですが
私にはそんなことを論じるほどの知識もないので、「覇王たち」でまとめさせて貰いました。
みなさんは誰が五覇の名に相応しいと思いますか?






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