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【楊貴妃とも対比される、漢代屈指の傾国の美女。】
趙飛燕

2007,Spring




前漢末に現れた、古代を代表する美女の一人、趙飛燕
“飛燕”の名が余りにも有名ですが、正しくは前漢9代皇帝、成帝の趙皇后です。
細身であったといわれ、飛ぶ鳥の如く舞ったことから“飛燕”と呼ばれるようになりました。


美人のことを指す言葉として、「環肥燕瘦」という言葉がありますが、
「環肥」はかの名だたる楊貴妃を、そして「燕痩」は趙飛燕のことを指しています。
(楊貴妃は本名を「楊玉環」といい、肉付きのよい美女だったといわれています。)


妹の趙合徳 (趙昭儀)と共に後宮で皇帝の寵愛をほしいままにし、
ほかの愛妃らが後胤を生むのを阻んだといわれています。
また、自分に子供ができなかったため、後宮に男性を引き込み、皇后の身でありながら
姦通を犯していたことなどから、悪女としても名高い女性です。

最終的には、王莽によって国を傾けたと非難され、庶人に落とされた後、自ら命を絶ちました。



漢代なのに 何その袖…
というツッコミは自分で何度もしている部分であります。
「燕~燕~」とイメージしながら描いていたら、こんなになってしまいました。
時代考証無視ですみません。。




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