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王室を翻弄した春秋晋の傾国
驪姫の禍

2011,2




驪姫

春秋、晋の献公の寵姫。
驪山付近に居住していた驪戎という異民族の娘で、献公がこの民族を攻め滅ぼし、
妹の少姫と共に寵姫としたといわれる。

献公には既に申生(しんせい)、 重耳(ちょうじ)、 夷吾(いご)といった息子たちがいたが、
驪姫は己が産んだ奚斉(けいせい)を太子とすべく、策略をもって申生を殺害し、
重耳と夷吾が他国へ亡命するといった事態を巻き起こしたといわれる。
小説などでは、故国を滅ぼされた恨みを忘れず、奚斉もろとも晋の国を内部から
瓦解させようとした悪女として描かれる。

晋のこの一連の政治的混乱は、一般に「驪姫の禍」「驪姫の乱」といわれ、
献公の死後は臣下によって奚斉らと共に殺害された、或いは攻められて自害した。




献公

春秋晋の君主。姓は姫、名は詭諸。
王位についてからは虢や虢を滅ぼし、勢力を強め晋の隆盛期を作る。
驪戎を滅ぼし、驪姫を得てからは国の混乱を招いたとされる。



(左から)夷吾、申生、奚斉、重耳


夷吾

後の恵公。献公と小戎子といわれる戎族の娘との間に生まれた公子。
驪姫に陥れられて屈に立て篭り、その後梁に逃れた
献公が死に、王位についた奚斉が間もなく殺害されると、庇護されていた
秦の穆公に河西の割譲を条件として後ろ盾とし、
帰国して王位についた。恵公となる。
即位後は秦との約束を反故とし、更に不作の年に秦の支援を得たが翌年の秦の不作の際には
援助を行わず、兵を発して秦を攻めた。後秦に攻められて捕えられるが、赦されて帰国する。

申生

献公の皇太子。母は斉姜で、もとは献公の父である武公の夫人であった。
驪姫が己の身につけているものに蜜を塗り、寄ってくる蜂を申生に払わせているのを
遠目から献公に見せ、更に毒を盛った酒肉を偽って献公に捧げさせ、自害に追い込まれた。
優しい性格であったといわれ、冤罪を訴えようとする部下に対し、
「冤罪を訴えれば義母(驪姫)の罪を明らかにすることになる。それは父に対しても不孝である」
といって自害したといわれる。

重耳

献公の息子で後の文公。春秋五覇に数え上げられる。
母は大戎狐姫で、夷吾の生母の姉であるといわれる。
驪姫に陥れられて狄に亡命し、弟奚斉が殺され、夷吾が即位すると刺客を送られた。
その後斉の垣公の庇護を受けて妻を娶り、その後恵公が病床に倒れると
秦の支援を得て帰国し、恵公の子の懐公の軍を掃討して即位、二十年近い不遇の時を経て王となった。
放浪中、斉や宋、楚からは厚遇されたものの、衛、曹、鄭などでは冷遇され、辛酸を舐めさせられた。
即位後、楚と対峙した際には約束どおり軍を三舎引くなどして恩を返し、
また衛、曹、鄭などには報復を行った。
長らく混迷にあった晋を治めたことで評価される。

奚斉

献公と驪姫の間にできた晋の公子。
母、驪姫の画策により太子となるが、献公の死後間もなく、
里克の反乱によって王位を奪われ、殺害された。



献公にはこの四人のほかにも子供がいますが、
今回は驪姫の禍に直接巻き込まれた中心人物だけを描いてます。

小説などでは後々まで怨みを忘れず、晋という国を内側から瓦解させようと
画策した傾国の美女とも言われますが、そんな俗説のイメージに従って描いてみました。




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