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張献忠

2009,9


明末の農民反乱指導者。詩は張献忠が建立したといわれる「七殺碑」より。
後に李自成を袂を分かち、四川を占領して大西皇帝を自称して独立を図ったが、清の勢力に掃討された。

残酷な殺戮や刑罰を好んだといわれ、自身の家族、部下をはじめ四川の人口の殆どを虐殺したと伝えられる。


張献忠の残虐性を現す逸話は『蜀碧』に記述が多いのですが、これは野史であり、
かなり誇張されたものだと言われています。
下記に『酒池肉林』(井波律子著/講談社現代新書/1993年発行)の内容をかいつまんでご紹介します。


本来、明に代わって国を樹立しようとしていた張献忠ですが、李自成が北京を掌握し、
その後すぐに清の軍勢に追われて政権交代が果たされると、自らの志が成らないことを悟り
これによって大規模な「殺(シャー)」をはじめます。

その殺戮はすさまじく、降伏してきた蜀在住の明の官吏を含む住人を皆殺しにするために
部下に殺人のノルマを課し、手足の対の数に応じて引き立てたため、
何十万もの住人が瞬く間に命を奪われたということです。。

一日でも血が流れるのを見ないと気持ちが塞いでくる、という奇癖があったといい
愛妾、息子を殺し、命令に従った側近までをも殺し、可愛く思う者を殺し、友を殺し、
果ては牛や犬まで八つ裂きにして殺したといわれます。

知人を殺した場合はその首を長持に入れて軍中持ち歩き、並べて共に酒盛りを楽しむという
背筋の凍るような逸話もあるようです。


それもゾッとしないものばかりですが、すべてが事実であるとは言いがたく、
異民族であった清への隷属を正当化させる意図を持って誇張されたものであろうと指摘されています。


かの魯迅も張献忠について言及しています。
偉大なる文学者が取り上げた影響でしょうか。
誇張がなされていても、やはり張献忠といえば、頬のこけた目の鋭い男が血に塗れて笑っている、
私の中では、そんな強烈な印象から逃れられない人物です。




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