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春日局
2011,8
本名 斎藤福。江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母。 大奥を整備し、江戸幕府の礎を築く一端を担った。 ちなみに春日局というのは、家光政権時になって朝廷に参内した折賜った称号。
春日局については、あまりにも著名なので詳細は割愛します。 寛永20年(1643年)に亡くなる折に詠んだ時世の句に惹かれ、ずっと描きたいと思っていた絵です。 「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を 逃れけるかな」 江戸城大奥に君臨し、老中に匹敵する権力を手にした春日局にとって江戸城は 己の家であり、大奥を収めることはまさに家政を取り仕切ることと同じだったのでしょう。 そんな江戸城を、春日局は「火宅」と呼びました。 火宅。彼女にとっての大奥、江戸城がどのようなものであったのか、 これほど簡潔かつ的確に表現する言葉はないでしょう。 徳川の母として、ひとつの役割を終えた気持ちで心安らかに眠ったのではないでしょうか。 ちなみに、春日局が亡くなった1643年10月26日、江戸の空に浮かぶ月はどんなものだったのだろうと 調べてみたところ、どうやら月齢13、今まさに満月に近づこうとする月だったようです。 この後、4代家綱を経て5代綱吉で元禄文化が花開き、華やかな時代に突入します。 そして6代家宣の実直な政治を経て7代家継の後、中興と言われる8代吉宗の時代に入り、 やがて文化・化政といった爛熟期を迎えていきます。 大奥もまた、春日局の死後は代わって家光の愛妾お万の方が取り仕切り、 華やかな公家風の文化を取り入れていよいよ発展していくことになります。 これからまさに満ちんとする月は、江戸城大奥の基礎を築いた春日局の時代を象徴しているようですね。