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和気広虫

2011,8


和気清麻呂の姉。奈良時代の女官で女孺として孝謙上皇に仕えました。
恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の平定後、関係者の助命を訴えて多くの人の命を救い
また飢饉や疫病に苦しむ孤児を保護・養育し、日本最古の孤児院の創設者と伝えられています。

寵僧道鏡に譲位するため、宇佐八幡宮への勅使を引き受けた広虫の弟の清麻呂が
意に沿わない神託を持ち帰ったことで弟共々罪を得、天皇に従って出家していた広虫は
僧籍を剥奪された上で名を「別部広虫売」(或いは「別部狭虫」)と変えられて
備後国へ配流処分を受けました。
その後光仁天皇の代になって弟と共に罪を赦され官位と名を復活させられ、
日本書紀には「人と為り貞順にして節操欠くことなし」とあるように、清廉な人柄と
孤児を庇護した慈愛の人物として死後も評価されている女性です。



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