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八田皇女

2015年~2016年1月




仁徳天皇の異母妹で皇后。
磐之媛命(いわのひめのみこと)の後に皇后になったとされる女性。
矢田皇女(やたのひめみこ)、八田若郎女(やたのわかいらつめ、やたのわきいらつめ)
とも記される。



大鷦鷯尊(おおさざきのみこと。仁徳天皇の名)が皇子時代、
父である応神天皇は大鷦鷯の弟の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を可愛がり
後継としましたが弟は天皇位を兄に譲って自害しました。
稚郎子は死ぬ前に、自分の同母妹である八田皇女を大鷦鷯尊の後宮に入れるよう
遺言を残したといわれます。

仁徳天皇は皇后の磐之媛が木国(和歌山)へ外出している隙を
見計らうようにして八田皇女を後宮に入れてしまいます。
嫉妬で怒った磐之媛は仁徳天皇のいる難波宮に戻りませんでした。
八田皇女はそのまま、仁徳天皇の後妻として難波宮で生涯を終えたと考えられています。


形だけを見ると、正妻を追い出した形になる八田皇女。
『万葉集』に残る仁徳天皇とのやりとりを見ると、嫉妬深いといわれる
磐之媛とは対称的に従順な女性のように見えます。

そして仁徳天皇もまた、人情味溢れる男性であったようです。
色んな女性に手を出し、八田皇女と親密になってもなお
嫉妬する磐之媛を懐柔しようとする姿には、一人の男性としての優しさが窺えます。
皇女に対しても、まめやかな愛情を注ぐ男性だったのでしょう。

古代の天皇の妃たちには、実家や兄弟を殺された人物が
比較的多いのですが八田皇女もまた、同母妹である雌鳥皇女を
夫によって謀叛の罪で誅殺されています。
妹を殺された心の傷もいつか美しい難波の海と天皇の心によって
癒されていったかもしれません。



しかし個人的には、古代の悪妻と評されても、人間らしい嫉妬を隠さず
人情味に篤い磐之媛の方に惹かれるものがあったりします。

難波高津宮の現在地については諸説あるようですが
いずれも海岸からそう近くはないようなので、これは
難波の岸近くの離宮なんかからの景色ということで…



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